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うらろじ47本目よりみち探訪:伝説のプリマドンナ「三浦環」との縁を語る座談会

伝説のプリマドンナ三浦環を語る

2020年3月30日からスタート予定のNHK朝の連続テレビ小説、第102作目の「エール」の主要な登場人物のひとり、オペラ歌手「双浦環」(ふたうら・たまき)は、実在のプリマドンナ「三浦環(みうら・たまき)がモデルとなっています。

今回はうらろじ探訪46本目に続く特別企画「よりみち探訪」として、三浦環に縁のある、後藤浩子さんと土井尻明子さんを招いての座談会をお届けします

前回記事(うらろじ探訪46本目)
「山中湖村寿徳寺・伝説のプリマドンナ三浦環の足跡」
http://www.kaneyamaen.com/spend/uraroji/entry/post.php


--------本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。
いままた脚光をあびる歌姫・三浦環さんの魅力について、おふたりにお話をお伺いしたいと思います。今日はどうぞよろしくお願い致します。

------------後藤浩子さんは今年、99歳になられるとか。とてもお若くお元気で、来年100歳を迎えられる方には見えません。お生まれは何年になるんですか?

後 藤)
「1921年、大正10年になります。ちょうど環さんが世界中で活躍されている頃で、1922年には帰国されて「船頭可愛や」(作曲:古関裕而)などのレコードをヒットさせていた頃ですね。その後ふたたび渡米し、イタリアに渡り、蝶々夫人を2000回演じられます。

私がまだ幼少の頃、母方の伯父(日本音楽界の歴史に記される澤崎定之さん)が東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学音楽部)教授をしておりましたので、いちど環さんが帰国されていた昭和10年頃に伯父の家で、伯母とプリンを作って環さんに食べていただいたことがあります。とても喜ばれて、頭をなでていただいたことがいまでも昨日のことのように思い出されます」

----------土井尻明子さんはソプラノ歌手として活躍される一方、三浦環の魅力に惹かれ、独自の研究を続けられ、現在では三浦環の楽曲コンサートなども開催されています。
後藤さんが実際の環さんに会われているなんて、うらやましいお話ですよね?

土井尻)
「うらやましい!(笑)お会いしてみたかった。もう私達の世代ではレジェンド、伝説の歌姫ですからね。レコードでは、その声を聞くこともできますが...後藤さんは、環さんの歌を生で聞かれたことも?」

後 藤)
「はい、あります。奏楽堂(旧東京音楽学校奏楽堂)での音楽会へ小学生の時に。特別の服を着せられて、おめかしして出かけました。環さんの声は高く澄んで、よく通る声でした」

生前の三浦環さんと縁があった、大正~令和の語り部 後藤浩子さん
現役のソプラノ歌手であり三浦環さんの研究家でもある 土井尻明子さん
三浦環さん 1935TOKYO(昭和10年東京)/山中湖三国荘所蔵
澤崎邸で環さんと会った昭和10年頃の後藤さん(右)国府台女学院ご学友と

----------後藤さんは東京生まれ。土井尻さんは大船渡の生まれ。お二人が環さんの墓所のある山梨で出会われるというのもなんだか不思議な縁を感じるんですが...

後 藤)
「そうですよね。私は東京・本郷の生まれで富士山の見えるところに別荘を買ったのが、山梨との最初の縁です。山梨に移り住んだことを知ると、伯父がじつは三浦先生のお墓が山中湖にあるんだが、私には遠すぎて行かれないから行ってみてくれないか、と。こちらで出来たお友達と、お花を一輪二輪、手向けに行ったのがきっかけで、もう40年、環さんのお墓詣でを続けております。一昨年には環さんの70回忌をすることができました。そのときは墓所がお花でいっぱいになりましてね。とてもきれいな光景でしたよ」

土井尻)
「私は東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の大船渡の出身です。震災直後、主人の仕事の関係で富士吉田に移り住みましたが、2ヶ月に一度は帰郷し、1〜2週間はふるさとのために仮設住宅をまわり、復興慰問コンサートを行ったり物資を運んだりしていました。当時は富士吉田にいながら復興支援のことばかり考えていました。2015年3月11日〜13日まで被災地でお遍路さんをしませんか、というお誘いがあり、南三陸町から気仙沼までの約70kmウォーキングに参加しました。その1年くらい前からトレーニングに山中湖の湖畔で10kmのウォーキングを始めました。そのときに湖畔のお寺に三浦環さんのお墓があることを教えていただきました。ああ、あの方がここにいるのか、と。しかし、なかなか機会がなかったのですが、2019年の3月3日に私が地域で行っていますおもしろオペラ講座の公開公演として『オペラ蝶々夫人ハイライトコンサート』をふじさんホール(富士吉田市)で開催することになりました」

後 藤)
「あの公演は素晴らしかったですね。セットも字幕による解説も丁寧で、オペラを知らない方にもわかるようにできていました。何より土井尻さんの演技、歌が素晴らしかった。嬉しくってね、土井尻さんが吉田にいて、鐘山苑さんとも懇意だと聞いてすぐ会いに行ったんです。私の思った通りの方で、この方に三浦環さんの素晴らしさを伝えていって欲しいと心から願いました」

土井尻)
「ありがとうございます。ハイライトコンサートですが、オペラを一本見たような感覚を得られるコンサートを目指しました。その公演を前に、改めて環さんのことを調べ、お墓参りにも行かせていただきました。また河口湖の音楽と森の美術館でも歌っておりますが、たまたま蝶々夫人のアリアを歌った回に偶然、環さんのご親族がいらしてくださっていて、公演後に『この曲はうちのおばがなんども歌いました』って。『おばってもしや⁉︎』と(笑)。その後も可愛がっていただき、環さんの資料や写真、自筆のハガキなども見せていただきました」

------------おふたりにとって三浦環という偉大な音楽家は、どのような存在なんですか?

土井尻)
「歌い手としては、みなが夢見る世界をひとり歩まれたロールモデル、憧れの存在ですよね。ヨーロッパ・デビューも、海外で20年間も活躍された足跡も、全てが夢のような物語。歌い手のだれもが「海外の歌劇場で歌いたい」と願いますが、100年も前に、やっている人がまだだれもいない中で実現させたパイオニアです。また自伝などで食に関する面白い話などを披露されていますが、とにかくバイタリティがすごい。古関裕而さんも言っているように、飾らず率直な方で、周りの人を笑わせる愉快な人だったそうですね。環さんの人生を調べながら、とにかく面白い、おもしろい、とのめり込んでしまう。勉強しながら笑っちゃうなんてなかなかないですよね。すごく楽しい人です」

後 藤)
「楽しい人です。そして、100年前の日本で日本人に歌うことの楽しさを教えてくれた人」

------------これからの夢はなんですか?

土井尻)
「少し前、環さんのお墓はあるのに、なんで知られていないんだろう、と考えました。資料を集めたり、お墓参りに来た人が滞在できる展示室や記念館があってもいいのにな、と感じました。山中湖にも音楽堂やホールがほしいですよね」

後 藤)
「ありがたいですね。私もどうしたら三浦環の素晴らしさをもっとわかってもらえるか、そんなことばかりを考えてきました。いまやっと時期が来たのかな、ととても感慨深いです。三浦環という人はこういう人だったんだということが、もっと広く知られたら、それが本望ですね。そして私たちのこの出会いが、新しい物語のスタートとなることを祈っています」

------------今日は楽しいお話、ありがとうございました。

2020年2月25日
鐘山苑 別墅然然にて

※記事の内容は取材当時のもので現在とは異なる場合があります。
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三浦環70回忌法要には全国から大勢の方が参列した(2018年)
ハイライトコンサート蝶々夫人第3幕の一場面(2019年)
ハイライトコンサートのカーテンコール風景(2019年)
ふじさんホールでは三浦環の偉業を紹介するパネル展も開催
世界に誇る伝説の日本人プリマドンナの偉業を次世代にも語り継いできます

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